大判例

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最高裁判所第二小法廷 平成8年(行ト)12号 決定 1996年2月26日

抗告人

島袋善祐

外七七名

右七八名代理人弁護士

伊志嶺善三

三宅俊司

松島曉

瀬野俊之

石川元也

伊賀興一

下東信三

中野和信

永尾廣久

儀同保

井上二郎

大久保賢一

仲松正人

阿波根昌秀

吉田健一

稲生義隆

野沢裕昭

太田隆徳

斎藤浩

岡村正淳

中村博則

秋月慎一

丹羽雅雄

中島光孝

河内謙策

八尋八郎

島袋勝也

神田高

内藤功

小部正治

森下弘

西晃

諌山博

小泉幸雄

田中利美

大川一夫

松本剛

青木護

前田武行

鷲見賢一郎

関島保雄

海川道郎

梅田章二

長野真一郎

吉村拓

松岡肇

前田豊

中北龍太郎

上原康夫

瑞慶山茂

相手方

内閣総理大臣

橋本龍太郎

右指定代理人

浦田重男

屋良朝郎

被参加人

沖縄県知事

太田昌秀

右代理人弁護士

池宮城紀夫

主文

本件抗告を棄却する。

抗告費用は抗告人らの負担とする。

理由

抗告代理人伊志嶺善三、同阿波根昌秀、同島袋勝也、同前田武行、同三宅俊司、同吉田健一、同神田高、同鷲見賢一郎、同松島曉、同稲生義隆、同内藤功、同関島保雄、同瀬野俊之、同野沢裕昭、同小部正治、同海川道郎、同石川元也、同太田隆徳、同森下弘、同梅田章二、同伊賀興一、同斎藤浩、同西晃、同長野真一郎、同下東信三、同岡村正淳、同諌山博、同吉村拓、同中野和信、同中村博則、同小泉幸雄、同松岡肇、同永尾廣久、同秋月慎一、同田中利美、同前田豊、同儀同保、同丹羽雅雄、同大川一夫、同中北龍太郎、同井上二郎、同中島光孝、同松本剛、同上原康夫、同大久保賢一、同河内謙策、同青木護、同瑞慶山茂、同仲松正人、同八尋八郎の抗告理由について

抗告人らは、前文記載の事件の被告を補助するために参加を申し出たものであるところ、右事件は地方自治法一五一条の二第三項に基づく職務執行命令訴訟として提起されたものであることが記録上明らかである。

都道府県知事は、法律に基づき委任された国の事務を処理する関係においては、国の機関としての地位を有し、その事務処理については、主務大臣の指揮監督を受けるべきものである(国家行政組織法一五条一項、地方自治法一五〇条)が、右事務の管理執行に関する主務大臣の指揮監督につき、いわゆる上命下服の関係にある国の本来の行政機構内部における指揮監督の方法と同様の方法を採用することは、都道府県知事本来の地位の自主独立性を害し、ひいては地方自治の本旨にもとる結果となるおそれがある。そこで、地方自治法一五一条の二は、都道府県知事本来の地位の自主独立性の尊重と国の委任事務を処理する地位に対する国の指揮監督権の実効性との間の調和を図る趣旨から、職務執行命令訴訟の制度を採用したものである。そして、右訴訟においては、主務大臣の都道府県知事に対する命令の適法性が審理の対象となり、裁判所がその適法性を是認する場合には、裁判所は、当該都道府県知事に対し、当該事項を行うべきことを命ずる判決をすることになり(同条六項)、右判決には、都道府県知事が判決に定められた期限までに当該事項を行わないときは、主務大臣が代執行権を行使することができる旨の効果が付与されており(同条八項)、これによって、主務大臣の指揮監督権の実効性が確保されている。

以上によれば、職務執行命令訴訟は、国の委任を受けて都道府県知事が管理執行する事務に関する行政機構内部における意思決定過程で、行政機関の間に法令解釈等をめぐる対立があった場合において、その対立の調整手段として法が特に認めた客観的訴訟の性質を有するものと解され、裁判所が主務大臣の請求に理由があると認めて、都道府県知事に対し、当該事項を行うべきことを命じた場合であっても、行政機構内部における本来の方法によって当該事項を執行すべきことが決定されたのと同様の効果を生ずるにとどまるものというべきである。かかる訴訟については、右指揮命令の適法性をめぐり対立する主務大臣と都道府県知事との間で訴訟が追行されることが予定されており、本来行政機構内部における意思決定過程に介入することが認められていない者が、これに関与することは法の全く予定しないところであるといわざるを得ない。したがって、職務執行命令訴訟については、その性質上、民訴法の補助参加に関する規定を準用する余地はないとした原審の判断は、正当として是認することができる。そして、このように解しても憲法三二条の規定に違反するものでないことは、最高裁昭和三二年(オ)第一九五号同三五年一二月七日大法廷判決・民集一四巻一三号二九六四頁の趣旨に徴して明らかであって、憲法三二条違反をいう論旨は理由がない。その余の論旨は、違憲をいう部分もあるが、その実質は、原決定の右判断における法令の解釈適用の誤りをいうものにすぎない。

よって、本件抗告はこれを棄却し、抗告費用は抗告人らに負担させることとし、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官大西勝也 裁判官根岸重治 裁判官河合伸一 裁判官福田博)

抗告代理人伊志嶺善三、同阿波根昌秀、同島袋勝也、同前田武行、同三宅俊司、同吉田健一、同神田高、同鷲見賢一郎、同松島曉、同稲生義隆、同内藤功、同関島保雄、同瀬野俊之、同野沢裕昭、同小部正治、同海川道郎、同石川元也、同太田隆徳、同森下弘、同梅田章二、同伊賀興一、同斎藤浩、同西晃、同長野真一郎、同下東信三、同岡村正淳、同諌山博、同吉村拓、同中野和信、同中村博則、同小泉幸雄、同松岡肇、同永尾廣久、同秋月慎一、同田中利美、同前田豊、同儀同保、同丹羽雅雄、同大川一夫、同中北龍太郎、同井上二郎、同中島光孝、同松本剛、同上原康夫、同大久保賢一、同河内謙策、同青木護、同瑞慶山茂、同仲松正人、同八尋八郎の抗告理由

はじめに

原決定は、補助参加人らの補助参加申出を、全て却下した。

しかし、右決定の理由は、第一に、職務執行命令訴訟にはその性質上民訴法の補助参加の規定は準用されない、第二に、仮に補助参加の規定が準用される余地があるとしても参加の利益はないというものである。しかし、右決定とその理由は、以下詳述するように憲法解釈を誤り補助参加人らの裁判を受ける権利等を侵害するなど、憲法に違背するものであり、取消されるべきである。

この点を、以下明らかにする。

本抗告理由書の構成は、以下の通りである。

「第一」において、本件補助参加人らこそが、本件訴訟の実質上の当事者であり、補助参加は憲法上当然の権利であることを明らかにする。

「第二」において、原決定が、異常なスピードでなされ、補助参加人らが提出した、申立書、反論書、補充書及び各疎明方法を十分検討した結果ではなく、参加却下の「結論先にありき」としか考えようのない異常なものであり、到底、特別抗告審において維持出来るようなものではないこと、及び、右決定が憲法三二条の公平な裁判所の裁判を受ける権利等を侵害している事実を明らかにする。

「第三」において、職務執行命令訴訟にはその性質上民訴法の補助参加の規定は準用されないとした原決定第一の理由の誤りを、地方自治法一五一条の二の明文解釈や砂川最高裁判決から明らかにし、これが憲法九二条の地方自治の本旨の解釈を誤り、憲法三二条の裁判を受ける権利を侵害するものであることを明らかにする。

「第四」においては、本件補助参加人らについて、補助参加の利益を否定した原決定の誤りを明らかにし、これが、憲法三二一条の適正手続の保障、憲法三二条の裁判を受ける権利を侵害することを述べる。

「第五」においては、以上の原決定の誤りを、憲法解釈の誤り、憲法違背との関係で、整理して明らかにする。

「第六」においては、本件訴訟に至る沖縄及び補助参加人ら反戦地主の権利侵害の歴史からみて、本訴訟及び、これに補助参加人らが参加することの重要性を明らかにする。

「第七」において、原決定を取消し補助参加人らの参加を認めることこそが、司法の独立を明らかにし、司法の権威を高めることになることを明らかにする。

第一 反戦地主の補助参加は憲法上の権利であり、参加申立の却下は許されない。

一 本件職務執行命令裁判請求事件(平成七年行ケ第三号、以下本件訴訟という)の目的は、米軍用地として提供するために、参加人ら反戦地主の所有地を、その意思に反して強制使用するための権原を取得することにある。すなわち、本件訴訟は、参加人ら反戦地主の土地を強制使用するための手続の一環としてなされたものである。形の上では、本件訴訟の被告は沖縄県知事太田昌秀であり、訴訟で被告に対して請求する内容は、土地・物件調書への立会、署名押印(いわゆる代理署名)を求めるものであるが、前記のとおり、本件訴訟の実質的な目的は、参加人ら反戦地主の所有地に対する強制使用権を取得するためのものであり、それ以外の何ものでもないのである。まさに、本件訴訟の実質上の当事者(被告)は参加人ら反戦地主であると言わなければなない。

二 それは、具体的な強制使用手続の経緯を見れば明らかである。

1 原告は、訴状請求原因一において、参加人ら反戦地主の土地を含む広大な土地について、目下、米軍用地特措法に基づいて使用権限を取得して米軍用地として提供しているが、その使用期限が一部の土地(所有者参加人知花昌一)につき、本年三月三一日、その他の参加人らの土地を含む広大な土地(二五三筆、面積三七万一〇〇〇平方メートル、所有者参加人らを含む二九二六名)については、平成九年五月一四日に満了すること、これらの各土地は、「右各期間の満了後もなお引き続き駐留軍用地として提供する必要があり、これらの土地を駐留軍の用に供することが適正かつ合理的である」として、右期間満了に間に合う強制使用権の取得を求めている。

2 その立場に立って、那覇防衛施設局長は、参加人ら反戦地主に対し意見照会を行ったうえ使用認定申請を行い、これを受けて平成七年五月九日、原告は、参加人ら反戦地主の所有地につき、強制使用認定を行ったものである。

3 その後、那覇防衛施設局長は、米軍用地特措法一四条一項、土地収用法三六条一項により、土地・物件調書を作成のうえ、所有者らに立会、署名押印を求めなければならないところ、その求めに対し、参加人ら反戦地主の多くが、土地・物件調書への署名押印の前に現地(各所有地)に立ち入って現状を把握したうえ、土地・物件調書の信憑性を確認して署名押印手続に対応する旨申し入れたにもかかわらず、那覇防衛施設局長は、これを署名押印を拒否したものと一方的に決めつけ(その違法、不当性については別途詳述する)、関係市町村長への代理署名を求める手続を取ったものである。市町村長のうち、那覇市長、沖縄市長、読谷村長が、参加人ら反戦地主の意思を踏まえて、それぞれ代理署名を拒否したために、沖縄県知事に対する代理署名へと進んだものである。

そして、沖縄県知事も代理署名を拒否したため、原告による本件訴訟の提起に至ったものである。

右の土地強制使用のための手続を見れば、本件訴訟の真の当事者は参加人ら反戦地主であり、いわば沖縄県知事は参加人ら反戦地主の身代わりで被告席に立たされたと言っても過言ではないのである。

4 被参加人である被告の勝訴、敗訴の結果につき、文字どおり重大な利害関係を有する点から考えれば、本件訴訟の実質的な当事者は参加人ら反戦地主であることは更に明瞭である。

まず、被告の勝訴の場合には、原告は適式に参加人ら反戦地主の各土地を強制使用する権原を取得することは不可能となり、その場合、原告は前記既存の強制使用期限の満了の際に参加人らの各土地を返還しなければならなくなることは明らかである。この場合には、参加人ら反戦地主の財産権の侵害の状態は消滅し、まさしく憲法の保障する財産権は回復し、参加人ら反戦地主の各土地はその自由な使用に供されることになるわけである。あるいはまた、戦争のためには一坪たりとも自分の土地を使わせたくないとの参加人ら反戦地主の思想信条の自由は、その抑圧された状態を脱し花開くことになるのである。

逆に、被告敗訴の場合には、被告は参加人ら反戦地主の各土地に関する土地・物件調書への代理署名を義務づけられ、あるいは、原告自身によって署名押印され、土地・物件調書は適式に作成されたものとして、県収用委員会への土地強制使用裁決申請が行われることになるわけである。その場合には、いやがうえにも収用委員会での「応訴の負担」を強いられるのはもとより、収用委員会において裁決開始決定がなされると、参加人らの各土地につき使用裁決手続開始の登記がなされ、自由な処分が制約されるなど、土地所有権に対する重大な制限を蒙るという不利益を受けることになるのである。そして、参加人ら反戦地主の多くがすでに数回に亙って経験してきたように、各土地の強制使用裁決、各物件の明渡裁決という重大な財産権侵害の不利益を受けることになるのである。そして、その場合には、併せて参加人ら反戦地主の前記の思想、信条の自由の侵害の継続という不利益を蒙るわけである。そればかりではなく、憲法三一条の適正手続の保障から導かれる土地・物件調書への立会権、署名権、異議留保権を奪われるばかりではなく、土地・物件調書の真実性を自ら立証しなければ、土地・物件の強制使用をくい止め得ないといういわゆる立証責任の転換という手続上の不利益を招来することになるのである。

三 反戦地主らが被告沖縄県知事を補助するため、本件訴訟に参加するのは当然の権利である。

1 本件訴訟の真の目的が、参加人ら反戦地主の所有地を強制使用するための権原を取得することにあり、真の当事者はむしろ参加人ら反戦地主であることからすれば、本件訴訟において、反戦地主が自らの財産権等の基本的権利を守るために、被告沖縄県知事を補助し、被告勝訴のための訴訟行為を行うことは当然の権利でなければならない。そのための法的手段は行政事件訴訟法二二条の定める訴訟参加((イ))、あるいは講学上認められる共同訴訟的補助参加((ロ))、行政事件訴訟法七条による民事訴訟法六四条以下((ハ))等の方法があるが、本件では(ハ)の民訴法上の補助参加の方法を選択したものである。

2 従って、本件訴訟において、参加人らは、被告の訴訟行為に抵触しない一切の訴訟行為をなしうるのであり、現実にも、適切で可能なあらゆる主張、立証を独自に尽くし、本件訴訟における実質審理に寄与する考えである(現実にも、本件訴訟の第一回口頭弁論では、適式の通知を受け、訴訟行為を行っている)(安保条約、地位協定、米軍用地特措法の違憲性等すでに第一準備書面において詳細に主張している)。

四 参加人ら反戦地主を本件訴訟から排除することは許されない。

1 原告は、参加人らの参加申立(平成七年一二月二〇日)の翌日には参加に対する異議申立を行い、四日後(一二月二五日)には「上申書」を提出して、その中で、地方自治法一五一条の二、職務執行命令等訴訟規則に、審理の促進を図る特別の規定があるなどとして、裁判所に対し「…御庁におかれて、本件職務執行命令訴訟の迅速かつ適正な審理のために、速やかに本件補助参加の申出の許否につき決定いただき…」たいと圧力をかけた。これは反戦地主らの訴訟参加が訴訟の迅速かつ適正な審理の障害になると決めつけ、その速やかな排除を求めたものであって、参加人らの訴訟参加の権利を侵害するのみならず、司法の独立をも侵害する違法・不当なものである。

そもそも、本件の職務執行命令が適法かどうかが大きな争点であり、被告はこれを不適法なものとして本案前の抗弁を提起し、参加人らもこの主張を援用しているところである。この争点につき、原告が、「職務執行命令訴訟」が適法であるとの断定のもとで、かかる上申をなすこと自体不当なものである。

2 原告のいう参加異議の理由については、すでに反論書(一九九六年一月八日付)において詳しく分析し、かつ各別に反論したところであるので繰り返さない。

(一) しかし、原告が旧民訴法五三条の「他人ノ間」との条文の文字を持ち出して、補助参加は第三者が「他人間」の訴訟に介入するものであるところ「機関訴訟」は「他人ノ間」の訴訟ではないから参加できないなどという理屈は、文字どおり屁理屈以外の何物でもないといわなければならない。そもそも、旧民訴の「他人ノ間」との条文は現行民訴法では削除して存在していないものである。新民訴法ではわざわざ削除して存在しない「他人ノ間」という架空の文字を持ち出すこと自体、何らの正当性も合理性も持ち得ないものである。むしろ、新民訴法が「他人ノ間」を取り去ったのは補助参加を「他人ノ間」の訴訟に限定しないためであると考えるのが妥当かつ合理的であるといわなければならない。

しかも、旧民訴法の「他人ノ間」の訴訟とは、原告のいう「独立した権利主体間」の訴訟のことをいうのではなく、「参加人自らを当事者としない訴訟が訴訟として存在」しているかどうかをいうのであってそれ以上の意味を持つものではないのである(丙二号証一、2)。

(二) 更に原告は、「……本件職務執行命令訴訟は、行政事件訴訟法六条に規定する『機関訴訟』であり、国の内部的な機関相互間の権限の行使に関する紛争についての訴訟」であると断定している。前記のとおり本件においては本件職務執行命令訴訟が「機関訴訟」かどうかが大きな争点であり、参加人らは被告と同様、「機関訴訟」ではないと考えるものであるが、仮に原告のいうとおりであるとしても、「機関訴訟」が「国の内部的な機関相互間の権限の行使に関する紛争についての訴訟」とは限らないのである。その点についてはすでに砂川町長職務執行命令事件最高裁判決(最二小判一九六〇・六・一七民集一四巻八号一四二〇頁)において明確に指摘しているところである。すなわち、同判決の「国の委任を受けてその事務を処理する関係における地方公共団体の長に対する指揮監督につき、いわゆる上命下服の関係にある、国の本来の行政機構の内部における指揮監督の方法と同様の方法を採用することは、その本来の地位の自主独立性を害し、ひいて、地方自治の本旨に悖る結果となるおそれがある。……」との指摘と、原告の「機関訴訟」の性格付けとは明らかに異なるものである。

(三) さらに「国の内部的な機関相互間の権限の行使に関する紛争」には第三者は参加人として介入できない、との原告の主張は、国民主権主義の原則を忘れ去った暴論であるといわなければならない。国民主権主義のもとではいかなる統治権(立法、行政、司法などのすべての権限を含むものである)もその源泉は主権者たる国民の総意にあるのである。憲法前文の「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し…」とはまさにこのことを言ったものにほかならない。政府内部の機関相互間の紛争に関する訴訟であっても、その訴訟の結果につき利害関係を有する国民は、その訴訟に参加し、一方を補助して裁判の結果に影響を与え、自らの利益を守ることができるものというべきである。これこそが、国民主権主義の立場に立った法の解釈というべきである。

(四) また、憲法三二条は国民の裁判を受ける権利を保障しており、この権利は国民がどの段階でどのような手続の中で裁判を受けるかの選択をも含むものと解すべきであり、その点、仮に政府内部の紛争に関する訴訟であってもその訴訟の結果に利害関係を有する国民はその訴訟に参加して自らの利益を守ることができるものといわなければならないのである。

その意味で、お上(政府)のやることには下々(国民)は口出しするなといわんばかりの原告の主張は、国民主権主義の立場や国民の裁判を受ける権利を守る立場とは相入れないものといわなければならない(なお、原決定の違憲性、違法性については、別項において詳述する)。

第二 異常なスピードでなされた原決定

一 一九九五年一二月二六日の裁判官交渉

島袋善祐ほか七七名の反戦地主が補助参加を申立てたのは一九九五年一二月二〇日であった。原告がそれに異議を申立てたのは同年一二月二一日である。その後、補助参加申立人ら代理人は、裁判官と法廷外の交渉をおこなったが、裁判所は却下決定をいそぎにいそぐ態度をみせ、あらかじめ補助参加を認めない方針をとっているとしか思われない状況であった。経過はつぎのとおりである。

一九九五年一二月二五日原告から裁判所に対して補助参加に関する決定を速やかに出す旨要望する上申書が出された。これを受けて、同日午後四時一五分頃、伊志嶺代理人に裁判所より補助参加申立てについて協議したい旨の電話連絡があり、一二月二六日午前一〇時、伊志嶺、阿波根代理人が福岡高裁那覇支部の伊名波判事と面接した。その席で伊名波判事は、「補助参加申出にたいする異議が出ているので、参加理由を疎明するのであれば今年中に提出するように」といった。「今年中」にといえば、年末の時期にあたっているのに五日以内に書類を提出せよということである。伊名波判事の非常識な提案に対して、伊志嶺、阿波根代理人は、「疎明資料のほかに異議申立に対する反論書を出したいので、一月一〇日までの時間がほしい」と答えた。伊名波判事は「それでは一月五日までに提出するように」といった。どうしても一月一〇日まで待ってもらいたいという伊志嶺、阿波根代理人の要求に、伊名波判事は「では一月八日まで待ちましょう」といって協議は打ち切られた。

この経過から見て、原審裁判所が、一九九五年一二月二五日に補助参加人代理人に連絡をし、翌日に面接をして、裁判所休廷期間である「今年中」に、補助参加の疎明資料を提出せよという極めて異常な行動を取ったのは、一九九五年一二月二五日の原告上申書がきっかけとなっていることは明らかである。しかも、裁判所は、補助参加人代理人が一九九六年一月一〇日までに提出すると歩み寄ったにもかかわらず、なお、裁判所休廷期間中の一月五日までに提出せよという態度を示した。このことは、裁判所が原告の上申書に屈服して速やかに、しかも補助参加の理由の有無の検討もせずに、却下の結論を出す姿勢を固めていたことを示している。

二 一九九六年一月八日の裁判官交渉

一月八日午後一時一〇分から、伊志嶺、阿波根外八名の代理人と補助参加人一名が伊名波判事と面接し、「補助参加申立への異議にたいする反論書」を提出した。その席で代理人らと伊名波判事とのあいだで、大要つぎのようなやりとりがあった。

代理人「二月九日の第二回期日に主張・立証を追加したい」

判事「今回出された書面を見て判断できる状態であれば判断する」

代理人「それほど急ぐのは、補助参加の判断にも職務執行命令訴訟規則が関係するからか」

判事「補助参加の判断については、別問題だ」

代理人「それならば、どうして二月九日まで待てないのか」

判事「私一人で二月九日まで待つとはいえないので合議したい」

(二〇分間合議ののち再開)

判事「第一回期日前に異議が出ているから、本来なら第一回期日前に参加の決定をするのが筋と思われたが、それは無理であった。異議が出ている以上すみやかに決定すべきで、第二回期日までの間に決定したい」

代理人「なぜ第二回期日まで待てないのか」

判事「異議が出ているから」

代理人「異議が出ていても、第二回期日後に決定をだしている例はいくらでもある。第二回口頭弁論期日後の決定では違法になると考えているのか」

判事「違法ではない」

代理人「違法でないのであれば、第二回期日以前にいそいで決定をする必要はないではないか」

判事「原告の異議が出ているから」「合議の結果ですから」

代理人「早く決定をしてもらいたいという原告の意向にそって早く決定をだすということか」

判事「原告は参加申立人にたいする応訴の負担から早く解放されたいので異議を出している。参加できるかどうか不確実な状態で審理をすすめるのは妥当ではない」

以上の経過から考えると、職務執行命令訴訟規則は補助参加に関係がなく、また、第二回期日後に決定を出しても違法でないことを裁判所自らが認めているにもかかわらず、第二回期日までに決定を出すことを裁判所が言明した理由は、原告を応訴の負担から解放させるためであることが明らかである。そして、原告が応訴の負担から解放されたがっている理由は、原告の一九九五年一二月七日付上申書に記載されてあるとおり、「楚辺通信所に係る土地については契約期間が平成八年三月三一日をもって満了し、その他のすべての土地については使用認定告示(平成七年五月九日)から一年以内に使用裁決の申請ができないときは使用認定の効力が失われる」から、補助参加人を本件から排除して早急に結審させたいということにある。そして、この原告の姿勢に裁判所が屈服し、補助参加人の主張立証が尽くされていない段階で、補助参加の理由の有無の検討もせずに補助参加を却下するという態度が明らかになったのである。参加申立人ら代理人は、三名の担当裁判官では公平な裁判は期待ができないのでその日のうちに忌避を申立てた。

三 忌避申立事件で露呈された裁判所の異常な審理態度

1 福岡高裁那覇支部の裁判官たちは忌避申立事件について、福岡高裁に全裁判記録を送付せず、忌避申立事件にかんする部分だけを送るという異常な措置をとった。福岡高裁は補助参加人ら代理人の申入れにもとづいて、全記録を取り寄せるという当然の措置をとった。これで明らかなように、那覇支部の裁判官たちは、忌避申立事件を全記録の検討なしに福岡高裁にやらせようと考えていたのである。すなわち、忌避申立に対する判断を早急に行わせ、それを待って、補助参加を即座に却下するという準備のために、那覇支部は全記録を送らなかったのである。ここにも、原決定が、補助参加の理由の有無を検討せず、ただ原告の求めに応じて早急に補助参加を却下するという姿勢が明らかである。

2 那覇支部の裁判官たちに現れた異常な審理態度はそのまま福岡高裁の裁判官たちに引き継がれた。

すなわち、抗告人らが福岡高等裁判所那覇支部の裁判官三名を忌避する旨を福岡高等裁判所那覇支部に申し立てたのが、本年一月八日、「忌避申立理由書」を同裁判所に提出したのが、一月一一日であった。

福岡高等裁判所那覇支部が福岡高等裁判所に「記録」を送付したのは一月一二日であったが、すでに述べたように、その「記録」は忌避申立事件のみの記録であった。それゆえ抗告人代理人らは、一月一六日の福岡高等裁判所第二民事部との話し合いにおいて、忌避申立事件のみの記録では忌避申立事件についての判断は出来ないこと、忌避申立事件を判断するためには本案記録を取り寄せ、全記録を精査することが必要不可欠である旨を主張した。

福岡高等裁判所第二民事部は、同日、やむなく本案記録を取り寄せる旨の決定をなし、本案記録が福岡高等裁判所に到着したのが一月一七日午後二時頃であった。

ところが驚くべきことに、忌避決定は一月一八日午後三時頃になされたのである。

本案記録を含めた全記録を福岡高等裁判所第二民事部の裁判官たちがそれぞれ精査し、その上で合議をなし、合議に基づいて決定書を書き、ワープロを打つ。このことが果して、一日でなされうるものであろうか。本当に裁判官たちは膨大な記録を、それぞれ精査したのであろうか。疑問である。

また、福岡高等裁判所第二民事部の裁判官たちが一日で膨大な記録を精査する等のことが可能であったとしても、忌避却下の決定は、その決定に至る過程において、抗告人らの意見を何ら聴取せず、拙速になされた決定である。

すなわち、抗告人ら代理人諌山博、同梶原恒夫が、一月一八日午前一一時四五分に、福岡高等裁判所第二民事部の田中貞和裁判官、同野崎彌純裁判官に面会し、「裁判官が本案記録も十分精査した上で、是非とも一月二二日以降に弁護団と面談して頂きたい」と申し入れ、両名の裁判官が「面談するかどうかについて、再度合議して決定する」と答えたにもかかわらず、そのわずか三時間後に、右決定がなされたのである。

記録を読んだ裁判官が、記録についての疑問を解消するため、また、申立人の言い分を聞くため、申立人から話を聞くというのは、通常の裁判で普通に行われていることである。また、全国民注視の中で行われている歴史的とも言うべき米軍用地強制使用裁判を担当している裁判官が公平に裁判をしないのではないかという重大な疑惑が提起されたのであるから、忌避申立については申立人の意見を十分に聞き、慎重に判断がなされるべきであったことは言うまでもない。

しかし、福岡高裁の裁判官たちも、異常なことに申立人の意見を聞かず、拙速に忌避却下の決定をなしたのである。

福岡高等裁判所第二民事部は、何故にわずか一日で忌避却下の決定をなしたのであろうか。

一日で右決定をしなければならない合理的必要性は、どこにも存しない。仮に福岡高等裁判所那覇支部で行われている本案事件の第二回口頭弁論期日(二月九日)までに、忌避問題について決着をつける必要があるとしても、一月一八日に右決定をなす必要は存しない。

唯一考えられる「合理的」必要性は、福岡高等裁判所那覇支部が二月九日よりも前に抗告人らを裁判から排除する補助参加却下の決定を出すためには、一日も早く福岡高等裁判所が忌避問題について決着をつける必要があったということであろう。それ以外に考えられない。

したがって、忌避却下の決定は、昨年一二月二五日の内閣総理大臣の「上申書」を契機に、司法の独立を放棄し、予断と偏見を持って反戦地主排除・沖縄県知事敗訴の道を歩みはじめた福岡高等裁判所那覇支部の動きに呼応するものであったのである。これまた異常な審理態度と言わざるをえない。

四 「応訴の負担からの解放」の意味するもの

一月八日の交渉の場で、伊名波判事は「原告は応訴の負担から早く解放されたいから異議を申立てている」と、「応訴の負担からの解放」という原告の主張を肯定的に説明した。これはきわめて重大である。裁判官にもとめられるのは、当事者双方の主張、立証を慎重に検討し、客観的に妥当な裁判をすることでなければならない。総理大臣側の「応訴の負担からの解放」などを判断の基準としてはならないのである。

当然のこととして、伊名波判事は第二回口頭弁論期日後に決定を出しても違法ではないことを認めていた。そうである以上、裁判所としては当事者双方に主張、立証をつくさせ、そのうえで決定をくだせばよかったのである。ところが、裁判官たちは「応訴の負担からの解放」を決定的な理由として、総理大臣の要求に従ったのである。

「応訴の負担からの解放」とは何か。それは、原告である総理大臣に負担と苦労がかからないようにしてやることであり、補助参加人のいい分に耳を貸さないということである。当事者双方に主張、立証をつくさせるというのではなく、補助参加人を問答無用に切り捨てるということである。沖縄の軍用地取りあげそのものがアメリカ及び日本政府の強要によって発生したものであるが、裁判所がいままた補助参加人の慎重審議の要望を黙殺し、あわてふためいて参加不許可の結論を出したことは、裁判所が内閣総理大臣の圧力に屈したものというほかはなく、私たち代理人は許すことができない。

五 総理大臣の圧力に屈した予断と偏見

補助参加申立人ら代理人は補助参加問題について、次の諸点を検討し、解明しなければならないと考え、準備をすすめていた。

1 本件訴訟は機関訴訟といえるのか

2 かりに機関訴訟であったとして、補助参加人が関与する余地はないのか

3 補助参加人に法律上の利害関係はないのか

これらの点について、補助参加人の代理人らは学者の協力もえて、原告の異議申立に対応するかたちで主張を整理し、疎明資料をととのえ、書面にまとめる作業に着手していた。そのため代理人らは、年末年始という特別の時期であったのに、「一月一〇日まで待ってもらいたい」という申し出をしたのである。九五年一二月二六日および九六年一月八日の交渉のとき、第二回口頭弁論期日である二月九日までにすべての書類を提出したいという代理人らの申し出の、どこに問題があったというのか。

ところが伊名波判事は「年内に出してもらいたい」「それが出来なければ一月五日までに」と、反論書の提出を異常に急がせようとした。多面的な研究とぼう大な書類作成が必要であるのは分かっているのに、裁判所は「年内に」「一月五日までに」といういい方に固執して譲らなかった。これは年末年始は裁判をしないという実務常識を無視しているばかりでなく、補助参加人ら代理人の主張、疎明にはじめから耳を貸さないという態度にほかならなかった。これでは、裁判所が総理大臣の主張に屈し、はじめから補助参加人を排除する腹を固めていたものとしか考えられないではないか。二度にわたる代理人との折衝も、「いちおう聞いておく」という形式をととのえただけのことにすぎなかったのではなかったのか。

三人の裁判官たちは行政府の圧力のもと、「始めに参加人排除ありき」という予断と偏見を抱いて、一月一八日に忌避却下決定が出されるのを待っていたかのごとく、一月二二日に提出した補助参加人らの補助参加理由補充書も一顧だにせず、わずか五日後の一月二三日に補助参加申立を却下したのである。

しかも、却下理由として機関訴訟には補助参加が認められないことをあげているが、本件においては、被告が、本件訴訟が機関訴訟に該当しないとの主張の骨子を示し、今後詳細な準備書面を提出すると言っているにもかかわらず、それが提出されておらず、機関訴訟論についての主張が十分に尽くされていない段階で、原告の主張どおりに機関訴訟であると断定して、それを前提に補助参加を却下したことはあまりにも拙速であり、この拙速さからも、裁判所がいかに原告に屈服し、その希望どおりの結論を出すことに執着したかが明らかである。

第三 原決定の独断的機関訴訟論

本項においては、原決定が地方自治の本旨(憲法九二条)の解釈を誤り、職務執行命令訴訟の訴訟構造、訴訟の制度趣旨の理解を根本的に誤った結果、「判決の結果につき利害関係を有する」と言える事の明らかな本件補助参加申出人ら(原決定で言う本件補助参加申出人と同じ)の「裁判所において裁判を受ける権利」が侵害された点について詳述するものである。

憲法三二条は「何人も裁判所において裁判を受ける権利を奪われない」と規定している。周知のごとく、この裁判を受ける権利は、独立の公平な司法機関たる裁判所に対して、すべての個人が平等に権利の保障を求め、かつ右に示した内実をもつ裁判所以外の機関から裁判されることのない権利を意味する。ここにいう「裁判」とは法令を適用することによって解決することの可能な権利義務に関する当事者間の具体的紛争に対してする裁判所の裁定である。従ってそのような実質を備えた紛争が存在し、その解決が求められている以上、「裁判の拒否」は許されない。それゆえにまた国民は自己に関して右の要件が充たされているときには、自らその権利救済にとって最も適切と判断した任意の段階で裁判所に訴えを提起(参加の申出も当然含まれる)し得ると解することができるのである。

従って本件補助参加申出人らが本件職務執行命令訴訟の段階において、補助参加の形で訴訟に加わり、被告を助けてその勝訴を促し、それを通して自らの権利・利益の救済を図ることは憲法三二条の裁判を受ける権利に支えられたものと言うことができる(丙一号証二一〜二二頁)。

原決定は以下に詳しく述べる理由により極めて独断的で特異な機関訴訟論により本来であれば補助参加が認められ、本件訴訟に参加し得るはずの本件補助参加申出人らの右憲法上の権利を侵害したものであり、取消を免れないものである。

一 (原決定の機関訴訟論とその誤り)

1 (原決定の機関訴訟論)

原決定第三の一及び二においては、本件訴訟を国の機関相互間における権限の行使に関する紛争についての訴訟として、行訴法六条の機関訴訟に該当するものと位置づけた上で、その職務執行命令訴訟の訴訟構造につき概要次の通り述べる。

(一) 「都道府県知事は(中略)、法律又はこれに基づく政令によりその権限に属する国の事務(国の機関委任事務)を管理執行する国の機関としての地位を(も)有している(地方自治法一四八条一項)。

(後者の)関係では国の主務大臣は都道府県知事の上級機関として位置づけられ、都道府県知事は主務大臣の指揮監督を受ける(同法一五〇条)」。

(二) 「主務大臣と都道府県知事との間に国の機関委任事務の管理執行についての意見の対立がある場合には、(このような)都道府県知事の有する本来の地位の自主独立性の尊重と国の機関としての地位に対する国の指揮監督権の実効性の確保との間の調和を図るため、立法政策上、訴訟の形式を採用し、国の機関委任事務の管理執行について主務大臣の都道府県知事に対する指揮監督権の行使の一態様として発せられた当該違反を是正し又はその管理執行を改めるべき旨の命令が適法であるか否かを裁判所に判断させることによりこれを解決することとし(中略)、職務執行命令訴訟が設けられたのである。」

(三) 「従って右の職務執行命令は、いわば国の行政組織内部における上級機関から下級機関に対する国の機関委任事務の管理執行についての純然たる指揮監督権の行使の過程に係わる事柄を問題とするものであり、被告敗訴の判決の結果も、国の行政組織内部において国の機関委任事務の管理執行について主務大臣から都道府県知事に対し指揮監督権が行使されるにとどまるもの。」

(四) 「被告敗訴の判決の結果は、被告に対し本件調書の作成について立会人を指名しこれに署名押印させよとの命令が発せられることにより国の行政組織内部において右国の機関委任事務の管理執行について上級機関である原告から被告に対し、指揮監督権が行使されるにとどまるのであって、(中略)、右判決に基づき被告又は原告が右事務を行うまでは本件補助参加申出人らの私法上又は公法上の法的地位にも何ら法律上の影響を及ぼすものではない。」

2 (原決定の理論構造の分析)

右1で整理した原決定の訴訟構造論を分析すると次の通りとなる。

(一) 被告は国の機関として上級の機関たる原告の指揮監督を受ける。

原告と被告に意見の対立のある場合、両者の調和を図るため立法政策上訴訟の形式が採用される。裁判所は原告の命令の適法性を判断し、その結果知事が敗訴した場合は、原告から被告に対する国の行政組織内部における指揮監督権が行使されるにとどまる。これを図で示すと次の通りとなる。

(1) すなわち原告と被告は国の機関として上級下級という関係に立ち、被告は原告の指揮監督を受ける立場にある(①の場合)。

(2) 原告、被告間に意見の対立のある場合、被告の自主独立性と国の指揮監督権の実効性の確保との調和を図るために訴訟という形式が採用され、原告の命令が適法であるか否かを裁判所に判断させることにした(②の場合)。

従って職務執行命令は国の機関委任事務の管理執行についての指揮監督権の行使の過程に係わる事柄(すなわち①の過程)を問題とするものである。被告敗訴の判決の結果、国の行政組織の内部における原告から被告に対する指揮監督権が行使されるにとどまる。つまり右の図①において②の対立を裁判所が解決し、原告の命令の適法であることを判決で示した結果、①の状態(上命下服の関係において、意見対立がないのと同じ状態)に戻り、国の行政組織内部における指揮監督権が行使されるにとどまることになる。

(二) 右(一)で分析した訴訟構造論を前提とすれば、被告が国の機関委任事務の執行を義務づけられるのはそもそも上級機関たる原告の指揮監督によるものであって、裁判所の職務執行命令訴訟制度も、上級機関と下級機関に意見の対立があった場合に、上級機関の命令を裁判所という機関を通じて下級機関に伝えるために存在するにすぎないことになるのである。だからこそ、原決定は「被告敗訴の判決の結果は(中略)、国の行政組織内部において、右の国の機関委任事務の管理執行について上級機関である原告から被告に対し指揮監督権が行使されるにとどまる」とした上で「右判決に基づき被告又は原告が右事務を行うまでは本件補助参加申出人らの私法上又は公法上の法的地位にも何ら法律上の影響を及ぼすものではない」としているのである。

(三) このような考え方からするならば、地方自治法一五一条の二第六項で「当該高等裁判所は主務大臣の請求に理由があると認めるときは、当該都道府県知事に対し、期限を定めて当該事項を行うべきことを命じる旨の裁判をしなければならない」

と明文で規定されているにもかかわらず、又実際に知事敗訴の場合に予想される判決主文が(原告訴訟請求の趣旨)明らかに裁判所が知事に事務の処理を命じる形になるにもかかわらず、被告が事務の処理を命じられるのは、あくまで国の行政組織内部における純然たる原告の指揮監督権(地方自治法一五〇条)にもとづくものとなるわけである。

そこでは裁判所の役割は(表現上は被告の自主独立性という文言が使用されてはいるものの)結局上級機関としての原告の命令を追認し、これに権威を与えるにすぎないことになるのである。

(四) さらにより重要な点は、原決定では直接は触れてはいないものの、原決定での訴訟構造論からすれば、本案訴訟において裁判所が審理をなす対象もきわめて形式的なものに限定されてくると言うことが今の段階で明らかになっているということである。何となれば原決定においては「裁判所が審理判断した結果、被告敗訴の判断を下せば、国の行政組織内部における上級機関としての原告の指揮監督権が行使されるにとどまる」と明確に言い切っているからである。純然たる行政過程の中での指揮命令においては、地方自治法一五一条の二第一項に規定するような各種の要件(例えば他に方法がないか否か、管理執行を怠ることが著しく公益を害するか)や、指揮監督の相手方である受命者の立場や法的解釈をいちいち考慮に入れることはあり得ない。したがって、裁判所の判決の結果と、原告から被告への行政組織内部における指揮監督権の行使とが一致するということは、論理必然的に裁判所の審理の対象も上級者である原告の命令が形式的要件を満たしているか否か、あるいは、明白かつ重大な瑕疵が存しないか否かといった形式的あるいは限定的なものにとどまらざるを得なくなるのである。

3 (砂川事件東京地裁第一審判決との接近性)

(一) 右の2で述べた職務執行命令訴訟制度に関する理解は、一見、原告と被告の対立の間に公平な裁判所が入った形式をとっているのであり、その限りにおいては、被告(知事)の自主独立性をある程度配慮しているものとも考えられなくはない。しかしながら、右2で述べた訴訟構造の考え方は、地方自治の本旨の解釈すなわち、そもそもなぜ地方自治法の中に職務執行命令訴訟制度が規定されているかの立法趣旨・制度趣旨に関する理解を完全に誤っているものであり、かの砂川最高裁判決によって明確に否定された考え方である。そこでこの点を論ずる前に差戻し前の東京地裁第一審(東京地裁昭和三三年七月三一日判決)について検討した後、砂川最高裁判決について検討することとする。

右差戻し前の東京地裁判決は、改めて言うまでもなく、職務執行命令訴訟における裁判所の審査権の範囲に関し判断をしたものであるが、その前提として職務執行命令訴訟の訴訟構造を論じ次の通り述べている。

(1) 「……しかし一方町長は法律又はこれに基づく政令によりその権限に属する国の事務を管理し及びこれを執行する(地方自治法一四八条)ものとされ、(中略)、国の機関として国の事務を処理するに当たっては上級機関である都知事及び主務大臣の指揮監督を受ける(地方自治法一五〇条)ものとされている。」

(2) 「従って町長は国の機関として処理する行政事務については都知事と上命下服の関係に立ち、上級の機関である都知事の命令に拘束されると解するべきである。」

(3) 「職務執行命令訴訟制度の趣旨は町長は前記のとおり町の住民の選挙によって選任された町の執行機関であって、国の吏員ではなくただ国の行政の便宜上法律によって国の事務を委任されているに過ぎないというその地位の特殊性を考慮し、町長の権限に属する国の事務を矯正する場合には、特に慎重を期して裁判所に関与させようとするものであるから、言い換えれば、行政部内における上級機関の下級機関に対する監督権の行使方法として特別に法律が裁判所に権限を付与した本来行政に属する訴訟の制度ということができる。」

(二) このように差戻し前の東京地裁第一審判決は、上級機関としての都知事から下級機関としての町長への指揮監督権(自治法一五〇条)を大前提とするアプローチから、職務執行命令訴訟の制度趣旨につきこれを「行政内部における上級機関の下級機関に対する監督権の行使方法として、特別に法律が裁判所に権限を付与した本来行政に属する争訟の制度」としているのである。

そしてこのような判断の枠組みは

「被告は国の機関としての地位を有し、上級機関としての原告の指揮監督を受ける」

「原告と被告に意見の対立の有る場合、立法政策上訴訟の形式を採用し原告の被告に対する指揮監督権の行使の一態様として発せられた命令が適法であるか否かを裁判所に判断させることにした」

「職務執行命令は、いわば国の行政組織内部における上級機関から下級機関に対する国の機関委任事務の管理執行についての純然たる指揮監督権の行使の過程に係わる事柄を問題とするものである。」

とする原決定と表現方法こそわずかに異なるものの、訴訟構造に関してはその基本的認識をほぼ同一にすると言えるのである。すなわち、原決定においても右東京地裁判決においても、原告と被告をあくまでも上級・下級といった視点でとらえ、上級から下級への指揮監督権の行使という視点から、職務執行命令訴訟をとらえている点で全く同一の認識なのである。

4 (砂川最高裁における訴訟構造論)

(一) 砂川最高裁判決(昭和三五年六月一七日第二小法廷判決)は、直接的には裁判所の審査の範囲につき、形式的審査で足りるとした原審を破棄し、実質的審査権を有することを明確にしたものであるが、その前提として職務執行命令訴訟の制度趣旨やその判決の効果について右2、3で分析した原決定や差戻し前の砂川第一審の理解とは大きく異なる理解を示しているのである。以下原決定と対比しながらこの砂川最高裁判決を検討することとする。

(二)(1) まず地方公共団体の長につき、国の機関としての事務を処理する関係においては国の一般的な指揮監督権に服するとするところまでは同一であるが、その直後に極めて重要な判示部分がある。すなわち

「しかしながら、国の委任を受けてその事務を処理する関係における地方公共団体の長に対する指揮監督権につき、いわゆる上命下服の関係にある、国の本来の行政機構の内部における指揮監督の方法と同様の方法を採用することは、その本来の地位の自主独立性を害し、ひいて地方自治の本旨に悖る結果となるおそれがある」

との部分である。

この右判示部分で最も重要と思われる部分は「いわゆる上命下服の関係にある国の本来の行政機構の内部における指揮監督と同じに解するべきではない」との部分であろう。すなわち、国の機関としての自治体の長は国の一般的な指揮監督に服するものの、職務執行命令訴訟の中で現れる原告と被告との関係で言えば、単に訴訟手続上、対等・平等というにとどまらず、法律論上も、裁判所の独自の判断がなされるまでは両者は対等・平等の関係に立つと言うことなのである。この点はこの砂川最高裁判決を受けて出された差戻後の東京地裁判決(昭和三八年三月二八日判決)で同裁判所が「……判決理由の全体を通覧するときは、その趣旨が下命者(略)の受命者(略)に対する優越性を否定し、両者の判断が抵触する場合には裁判所が客観的立場からそのいずれが正当であるかを審査判断すべきものとすることにあると看取するに難くない」と述べていることからも明らかである。この点を図示すると図②の通りとなる。

すなわち、原告から被告への一般的な指揮監督権そのものはこれは否定できないものの、両者の間に対立がある場合、すなわち被告が独自に法規等を解釈し、原告の命令を違法であるとして拒否した場合においては裁判所の独自の判断が示されるまでは、両者の解釈は理論上対等・平等の価値をもって対立するのである。そして、このように考えるからこそ、裁判所は両者の主張を客観的立場から判断し、原告の命令が適法か、地方自治法一五一条の二項の要件を備えているか、あるいは被告の命令拒否の判断は適法かといった事を実質的に審査できることになるわけである(右砂川最高裁における金子一博士の昭和三四年一月一五日付鑑定書、丙二一号証末尾。原田尚彦ジュリスト行政法の争点一二五頁、丙二二号証)。

右に引用した差戻し後の東京地裁判決が「……両者の判断が抵触する場合には裁判所が客観的な立場からそのいずれが正当であるかを審査判断すべき」といっているのもまさに同様の事である。

(2) そして右最高裁では続けて「……そして同条が裁判所を関与せしめその判断を必要としたのは、地方公共団体の長に対する国の当該指揮命令の適法であるか否かを裁判所に判断させ」「裁判所が当該指揮命令の適法性を是認する場合はじめて代執行及び罷免権を行使できるものとすることによって、国の指揮監督権の実効性を確保することが前示の調和を期し得る所以である」

としている。

ここでは裁判所が原告・被告両当事者の主張につき実質的審理を十分に尽くした上でなお、被告に職務執行を命じる必要性があると判断した場合においては、裁判所が被告に対して当該事務の執行を命じ、その裁判所の命令があってはじめて代執行及び罷免権を行使できるとしているのである(但し罷免制度は後で述べる通り現行法制度上は存在しない)。決して行政組織内部の上級機関である主務大臣の指揮監督権が行使されるにとどまるものではないのである。

すなわち、司法権を行使する裁判所が、被告に対し国の機関委任事務執行を命じるという方法をとることによって(結果として)国の指揮監督権の実効性を確保しているわけである。

もちろんこの場合においても職務執行命令訴訟における裁判所の命令を通じて、被告知事が事務の処理を義務づけられる結果、その限りにおいて結果として国の指揮監督権が行使されたことになると考えられるわけであるが、国の行政組織内部における指揮監督権がそのままの形で命じられるものでは決してない。すなわち判決によって知事に義務づけられる内容は、原決定の言うような国の行政内部における上級機関から下級機関への指揮監督と同一ではあり得ない。何となれば、国の行政組織内部における純然たる指揮命令においては、地方自治法一五一条の二、一項に規定する要件を考慮に入れていないのは当然の事であり、ましてや右の要件の充足のみならず、被告知事の主張の全てを実質的に審査した上で指揮命令をするものではあり得ないからである。だから一旦職務執行命令訴訟制度という方式が発動されてしまえば、そこで仮に被告知事が敗訴したとしても、もはや、その結果は通常の上級機関の指揮命令の結果では決してないのである。国の指揮監督権の実効性の確保という文言もかかる意味において解釈されるべきものである。

(3) 尚この点に関し、職務執行命令訴訟において被告敗訴の判決が出された場合に知事が判決により義務づけられる内容と、本来の行政組織内部における国の指揮監督権(地方自治法一五〇条)の内容との関係については論理的には三通りの考え方があるようである(芝池義一執筆・阿部照哉等編「地方自治体系2」第七章「機関委任事務」一八六〜一八九頁)。

いづれにせよ、最も重要な事は職務執行命令訴訟によって知事が義務づけられる命令の範囲と、一般的な行政組織内部における本来の指揮命令の内容とは一致するものではなく、これを一致するものとする原決定の論理構造(すなわち、判例の結果、国の行政組織内部における指揮監督権が行使されるにすぎない)は、右一点においてすでに砂川最高裁とは決定的に異質のものであり、同最高裁において否定された差戻し前の東京地裁判決にきわめて近い考え方であると言わざるを得ないのである。

二 (原決定の問題点)

右一での分析をもとに原決定の重大な問題点を指摘すると以下の通りである。

1 原決定の問題点の内、最も重大でかつ明白な誤りは、被告敗訴の判決の結果と、知事の事務の処理とを完全に分離・分断してしまったことから、被告がその事務の処理を義務づけられる根拠を判決の結果ではなく、原告の指揮監督権の行使の結果としたことにある。このような原決定の考え方は右一で詳しく述べた通り、職務執行命令訴訟を「行政組織内部における見解の相違を裁判という形式で解決しようとする本来行政に属する訴訟である」との見方に基づくものであり、それ自体地方自治の本旨の解釈を誤ったものであるが、他にも次に述べる通り重大な問題点を含むものである。

(一) 原告は本件訴訟を地方自治法一五一条の二の規定により提訴しているものであるが、その三項においては

「主務大臣は都道府県知事が前項の期限までに当該事項を行わないときは高等裁判所に対し、訴えをもって、当該事項を行うべきことを命ずる旨の裁判を請求することができる」とされており、さらに六項では

「当該高等裁判所は主務大臣の請求に理由があると認めるときは当該都道府県知事に対し期限を定めて当該事項を行うべきことを命ずる旨の裁判をしなければならない」

と規定されている。

このように法律の明文規定においても、知事の事務処理を命じるのは裁判所であり、決して原告の指揮監督権の効果ではないのである。原決定はこのような明文規定に完全に違反している。

(二) 実は右の点(すなわち被告が判決主文で事務処理を命じられる事)は原告ですら自認している事であり、原決定は国も主張していない事を独断的に述べているのである。

すなわち、確かに原告は知事敗訴の場合の原告の事務の代行に関しては、判決の結果ではなく地方自治法一五一条の二第八項によって原告に与えられた効果であるとは言っているのであるが、被告に対する義務づけは判決主文の効果であると明言しているのである(原告の平成七年一二月二一日付異議申立書八項においては「……すなわち被告は本件訴訟の判決の主文によって(中略)、土地調書及び物件調書に署名押印させることを命じられる」と記載されている)。

原決定はこのように原告すら主張していない事をあえて独断的に述べているのであり、原決定の極めて特異な性格が明白に表れていると言える。

(三) 尚法一五一条の二第三項中の「訴えをもって」との文言は旧法の一四六条の二項の規定中には存しなかった文言である。

右「訴えをもって」との文言は明らかに本件職務執行命令訴訟が単に行政内部に属する訴訟ではなく、主務大臣と知事との法解釈における対立を司法裁判所が双方の主張を実質的に審理し裁定することを改めて明らかにしたものと言える。

原決定はこのような改正の経過も全く無視して、裁判所の役割を極めて低く限定的に解したものである。

2 又原決定においては原告の代執行権についても、これを判決の効果と完全に切り離してしまっているが、次に述べる通りこれも誤った解釈である。

(一) 地方自治法一五一条の二第八項においては

「主務大臣は都道府県知事が第六項の裁判に従い同項の期限までになお当該事務を行わないときは、当該都道府県知事に代わって当該事項を行うことができる」としている。

原決定のように裁判所の関与の度合いを極めて狭く限定的に解する立場からは、「判決の結果は、国の行政組織内部において原告の指揮監督権が行使されるにすぎない」とし、被告知事に対してすら拘束力はないと言っているわけであり、ましてや右条項での原告の事務の代行についてもこれを判決の結果とは切り離している(原決定では「原告又は被告が右事務を行うまでは」との表現を使用している)。

又原告も補助参加に対する異議申立書の中において(異議申立書八頁)「……これは右の判決の直接の効果ではなく、地方自治法一五一条の二第八項の規定に基づいて原告に付与された権限である。」としている。

(二) きわめて重要な事であるので、何度も繰り返すが、砂川最高裁では、職務執行命令訴訟の制度趣旨、存在理由からアプローチし「……そして同条が裁判所を関与せしめ、その裁判を必要としたのは、地方公共団体の長に対する国の当該指揮命令の適法であるか否かを裁判所に判断させ、裁判所が当該指揮命令の適法性を是認する場合はじめて代執行権(及び罷免権)を行使できるとすることによって国の指揮監督権の実効性を確保することが前示の調和を期しうる所以である」

としているのである。

この観点からするならば、一旦原告と被告の対立が職務執行命令訴訟という訴訟制度の中に入ってしまえば、裁判所はもし被告敗訴の判決を下せば、原告の代執行の行使が当然になされるということを前提として当該指揮命令の適法性を審査することになるのである。そして裁判所が当該命令を是認してはじめて原告の代執行も可能となるわけである。

いやしくも最高裁の判決文に無駄な文言や余剰の文言は一切あり得ない。一言一句全てが意味をもつものである。

「裁判所が当該指揮命令の適法性を是認する場合、はじめて代執行権(略)を行使できる」との判示部分を忠実に読むならば、原告の代執行権を判決の直接の効果ではないとする原告の主張は失当である。純粋に判決の効果そのものではなくとも、少なくとも判決と不可分一体のものであることは明白である。

(三) 右の点は地方自治法一五一条の二第一〇項及び一一項の規定の解釈からも導くことができる。すなわち第一〇項の規定は知事敗訴の判決の上告には執行停止の効力はないとするものである。この規定の趣旨は、国の機関委任事務の処理を迅速に進めるための政策的規定であると解されるが、その当否は別として、右規定そのものは知事敗訴の判決の効果が上告によってその執行を停止されるのを防止する役割を果たすものとなっている。

すなわち、もし仮に知事の上告によって判決の執行停止があり得るとするならば、知事敗訴によって判決により知事に義務づけられる代理署名という事務処理と、判決主文で示された期限を経過することによって八項で原告に付与される原告の代執行権の両方について、執行停止の効力が得られるべき事は明らかである。条文の体裁も一項から八項までが職務執行命令訴訟の要件、管轄、審理手続、判決等について規定しており九項で上告の手続を規定し、一〇項で執行停止について触れているのであり、上告による執行停止の対象となり得る規定を六、八項とした上で、その停止の効力のない旨を明確にしているのである(長野士郎著逐条地方自治法四二九〜四三〇頁)。

又そうであるからこそ、後に被告勝訴の逆転判決が確定した場合においては、被告は既に第八項の規定に基づきなされた処分の取消しもしくは現状回復の措置等をなし得るのである(一一項)。

従って原告の代執行権の根拠は一五一条の二第八項でありこの点は原告の主張する通りではあるが、それは職務執行命令訴訟制度の中で判決に与えられた効果であると言ってよく、被告敗訴の判決主文がなされてはじめて発生するものなのである。その意味において被告敗訴の判決と原告の代執行権は不可分一体のものと観念されるべきものである。

3 原決定の論理構造においては「被告又は原告の事務の執行」は原告の指揮監督権によるものであり、判決の結果ではないとし、同時に「被告又は原告が事務の執行を行うまでは本件補助参加人らの法的地位に影響はない」とも言っている。

この事は逆に言えば「被告又は原告の事務の執行」と「本件補助参加人らの法的地位に対する影響」との関係は原決定自ら認めているのであって、「被告又は原告の事務の執行」が判決の直接的な効果、もしくは判決があってはじめて付与される不可分の効果であると言えるならば、本件補助参加人らが判決の結果に利害を有すると言えることになるのである。

そして右に詳しく述べた通り、被告敗訴の判決主文は直接被告知事を法的に拘束するものであることは当然の事であり、判決の効果と知事の事務の執行は直接に結びつく。そして原告の代執行権についても、右砂川最高裁が明言する通り知事敗訴の判決があってはじめて職務執行命令訴訟制度上原告に与えられる権限であり、被告敗訴の判決の直接的効果である。

従っていづれの場合においても、判決の結果と本件補助参加人らの法的地位とは密接な利害関係を有しているのである。

4 以上により現決定が砂川最高裁に違反し、憲法九二条の地方自治の本旨に関する解釈を誤っている事、及び原決定の誤った解釈が本件補助参加人らの裁判を受ける権利を侵害している事が明らかとなるのである。

三 平成三年の地方自治法改正の内容と地方自治の本旨の強化、裁判所の役割の強化・拡大について

1 今まで本稿においては、昭和三五年の砂川最高裁判決をベースにし論述をしてきた。原決定があえて最高裁の示す論理構造に反し、地方自治の本旨の解釈を誤り、自治体の長の立場を低く解するとともに、極めて狭い司法権の関与の態度を示し、もって補助参加人らの参加を拒否し、同人らの裁判を受ける権利を不当に侵害したからに外ならない。

2 しかしながら右最高裁の判決からもすでに三五年が経過している。この間、ますます住民自治、団体自治を内容とする地方自治の本旨の強化・拡大の重要性が高まってきた。又社会の中において発生する紛争に対する裁判所の役割もますます重要の度を増してきており、これらの点から考えた場合、本件訴訟を判断するにあたっては(本案のみならず参加の可否にあたっても)、より裁判所の関与の度合いを強め、又より一層地方自治の本旨を拡大強化する方向で判断されなければならない事は当然と言える。

そして実際に平成三年においては、地方自治法それ自体も右の方向で法改正がなされており、従前の法一四六条と対比すると改正点はおよそ次の五点に整理される。

① 罷免に関する規定が削られた。

② 代行・罷免の前提として命令違反事実の確認訴訟を必要としていたが、これを廃止した。

③ 職務執行命令裁判を「訴えをもって」請求する旨が明文で規定された。

④ 職務執行命令の発動要件を機関委任事務の管理・執行についての法令の規定または処分に対する違反または懈怠があるときとしていたものを、かかる違反又は懈怠がある場合において、他の方法でその是正を図ることが困難であり、かつそれを放置することにより著しく公益を害することが明らかであるときに限り、しかも職務執行命令を出す前に、自主的に機関委任事務が適正に執行されることを期待する趣旨で、まず長に対して勧告する必要があることとしていること。

⑤ 市町村長の機関委任事務についての職務執行命令訴訟の管轄裁判所が地方裁判所とされていたのを、より高度の判断を期待し得る高等裁判所とされたこと。

右の内、①は明確に自治体の長の自主独立性の強化を図ったものである。又③④⑤はこれに加え、裁判所の関与の度合いをより強いものにし、司法の果たす役割を尚一層強化したものと評価することができるのである。

3 このように自治体の自主独立性の強化と広く裁判所の関与が求められる中、あえて自ら裁判所の関与を極めて限定的に狭く解し、その判決の効果を原告すら主張していないところまで極端に狭く解してしまった原決定の地方自治の本旨に関する解釈の誤りは明らかであり、この誤った憲法違反の解釈により、本来参加が可能であった本件補助参加申出人(No.一〜二四)の裁判を受ける権利が侵害されたことも又明らかと言わなければならないのである。

第四 補助参加の利益を否定した原決定の誤り

一 はじめに

原決定は、職務執行命令訴訟に民訴法の補助参加の規定が準用される余地があるとしても、補助参加申出人らには補助参加の利益は無いと判断した(原決定第三の二)。職務執行命令訴訟全てについて一律的に補助参加を否定することは、明文規定にも反するし、職務執行命令訴訟の構造にも反することは、前述した通りである。

職務執行命令訴訟においても、補助参加が認められるか否かは、要するに、補助参加の利益、即ち、本案訴訟の結果について法律上の利害関係を有しているか否かで判断されるべきであり、一律的に職務執行命令訴訟だから認められないとの判断には、原決定も躊躇して、補助参加の利益の有無について念の為、判断したものとおもわれる。

しかし、本件補助参加人らに、補助参加の利益がないとの原決定の判断は、以下の通り明確に誤っており、原決定は、本件補助参加人らの裁判を受ける権利(憲法三二条)を侵害し、取消をまぬがれない。

二 原決定の論理

1 原決定の判断の論理の要点は、以下の通りである。

① 民訴法六四条の「訴訟の結果につき利害関係を有する」とは、訴訟上の請求についての判決主文によって示される裁判所の判断により、私法上又は公法上の法的地位に法律上の影響を受けることをいう。

② 被告敗訴の判決の結果は、被告(沖縄県知事)に本件調書の作成について立会人を指名しこれに署名押印させよとの命令が発せられることにより指揮監督権が行使されるにとどまる。

③ 右判決に基づき被告又は原告が右事務(県知事の立会署名又は、総理大臣の代行署名)を行うまでは、本件補助参加申出人らの私法上又は公法上の法的地位にも何ら法律上の影響を及ぼさない。

④ よって、補助参加申出人らは本件訴訟の結果につき利害関係を有するものとはいえない。

2 右判断の特徴は、職務執行命令訴訟に民訴法の補助参加が準用される余地があることを前提に、補助参加の利益の有無を判断するとしながら、右利益を否定する論理の根拠は、判決の結果は、「指揮監督権」が行使されるにとどまるということである。結局、補助参加の利益の有無を検討したといいながら、「第三 当裁判所の判断」で、職務執行命令訴訟に補助参加は認められないとしたのと全く同じ理由で、参加の利益はないとしているのである。

従って、参加の利益を否定した本決定は、本理由書第三で述べたのと同じ理由で、誤っている。

3 そして、右原決定の判断の重要な点は、右③において、「右事務を行うまでは」何ら法律上の影響を及ぼさないと述べて、右事務が行われれば法的地位に影響あることは、原決定自体認めざるをえない点である。そして、本書第三で前述したように、被告敗訴判決によって、「右事務」(県知事の立会署名又は、総理大臣の代行署名のいずれか)が、法律上必然的に行われるのである。本件原告の請求の趣旨自体「被告は、(中略)立会人を指名し、署名押印させよ」と判決主文で命じることを求めているのであり、被告の立会署名が判決主文によるものであることは明らかである。これを前記②のごとく、判決の効果は、単に指揮監督権が行使されるという原決定の判断が誤っていることも、本理由書第三で述べた通りである。

従って、原決定の②が誤っている以上、③で逆に示されたように、補助参加人(少なくとも本件訴訟の対象土地所有地主たる補助参加人)が、補助参加の利益を有することは明らかであるが、本項では、以下、別の面から、判決主文の法的判断と補助参加の利益の観点から、更に、原決定の誤りを明らかにする。

三 判決主文の法的判断と補助参加の利益の判断の基準

1 県知事の立会署名もしくは総理大臣の代行署名と、補助参加人らの権利侵害は、直結している。

被告敗訴の判決の結果、「右事務」即ち、県知事の立会署名もしくは総理大臣の代行署名がなされることによって、補助参加人は直ちにその権利を侵害され、法的地位は法律上の影響を受ける。

即ち、補助参加人(本件補助参加人)は、補助参加の理由として、

① 立会権の侵害(補助参加人の反論書三五頁)

② 調書への署名押印の権利、異議の付記をなす権利、署名押印を留保する権利の侵害(反論書三八頁)

③ 立証責任の転換による権利ないしは法的地位に対する影響(反論書四〇頁)

④ 収用委員会の審理において、これらの手続的瑕疵を争うことが出来なくなるという権利の侵害

⑤ 使用裁決手続開始の登記による財産権の制限という権利侵害

⑥ 使用裁決による財産権の侵害、もしくは、それにつながる使用裁決申請を受ける立場に立たされるという意味での権利侵害又は法的地位の影響という、法的権利への影響、あるいは法的地位への影響のあることを詳述した。

なお、留意すべきは、例えば、①の「立会権の侵害」というのは、後の収用委員会において右手続的権利の侵害の違法性が主張できるか否かだけの問題ではない。本来、憲法三一条の適正手続保障の観点から重要な権利として認められた立会権が、補助参加人においては、何らこれを放棄をしていないにも関わらず、立会拒否であると、原告に一方的に決めつけられている。万一、被告の敗訴判決ありたるときは、被告の立会署名、又は原告の代行署名がなされる。それがなされると、直ちに補助参加人には、土地収用法三六条二項によって認められた立会権が行使できなくなるのである。右②、③の権利侵害も同様である。この被告敗訴判決主文の効果によって、論理必然的に生じる権利侵害が、「判決主文によって示される裁判所の判断の結果を理論的な前提として、私法上又は公法上の権利又は法的地位に法律上影響を受けるという法律的な利益の関係」(東京高決平成三年一二月一六日、補助参加人の反論書二六頁参照)にあたることは明白である。

2 ところが、原決定は、被告敗訴の判決がされると参加の理由3に挙示する「事態の推移」にともない権利等の侵害あるとしても(中略)それは被告または原告が右事務を行うことによる法律上又は事実上の影響に過ぎない、とする。

しかし、少なくとも、右①立会権の侵害、②署名押印等の権利の侵害等は、県知事の立会署名又は総理大臣の代行署名によって、補助参加人自体の本件土地物件調書作成における右権利を行使する法的機会が、「直ちに」喪失するのであり、「事態の推移」というような、将来的に権利侵害の恐れがあると言うものではまったくない。

3 更に、原決定は、右権利等の侵害については、使用認定及び使用裁決等に対する抗告訴訟など、収用委員会における裁決手続の審理、土地収用法三六条三項の異議付記等を通じて対処すべきであって、補助参加の利益があるとは言えないとする。

当然、補助参加人らにおいてはそのような権利行使の機会ある時はこれを行使することは当然であるが(但し異議付記権は行使に問題あり。反論書四二頁)、右権利主張、権利行使の機会があるからといって、それが逆に本件訴訟で補助参加の利益がないとは決して言えない。

補助参加人は、本案判決の既判力を受けるものではなく、そうであるから、別の自らが裁判の当事者となる機会があるのが当然の大前提である。そのようなものにも、自らの法的利益への影響を避けるため、補助参加が認められるのが、補助参加の制度なのである。

4 補助参加が認められる一般事例との比較

例えば、交通事故における損害賠償請求の被告とされた運転者に対して、その運転者を雇用する会社が使用者責任を将来自らの請求された場合を考えて、補助参加する場合を想定すれば、この点は明らかである。使用者は、当然自らが請求を受けた場合別訴で損害賠償義務の無いこと(本訴で争点となった過失の有無についても争えるし、使用者責任の有無自体についても争える)、あるいはその程度を争える機会がある。運転者を被告とする裁判の判決によって、直接、自らも賠償義務を負うという法的影響を受けるわけでもない。しかし、そのような法的地位にある使用者の場合でも、運転手に過失ありとして損害賠償義務ありとの判決主文における裁判所の判断が出ると、それが、自らの法的地位(損害賠償義務の有無)を将来の訴訟で争う際に不利益な影響があることから、補助参加する利益があると認められているのである。同種の事案として、郵便局の副課長に対する不法行為による損害賠償請求訴訟において、国家賠償義務を懸念する国が被告側に補助参加することが認められている(東京地決昭和五〇年六月二七日、訟月二一巻八号一五七四頁)。運転手に対する判決後、現実に雇用主(あるいは前記郵便局の例では国)に対する請求がなされるか否かは、被害者の判断によって不確実であるが、それでも、補助参加の利益があるのである。これは本案判決主文に示される損害賠償義務の有無が、雇用主の損害賠償義務を判断する論理的前提となっているからである(前記東京高裁決定参照)。

また、従来から補助参加の典型例とされてきた債権者・保証人間の訴訟に主債務者が参加する場合(「注釈民事訴訟法」有斐閣一一二頁において典型例として紹介している)においても、補助参加の利益の具体的内容は、保証人の支払義務ありとの判決の判断によって、主債務者が自ら求償権を行使されうる関係にあるからである。しかし、この場合でも、保証人が連帯保証人ではなく、単なる保証人の場合は、事前求償権がないから右判決の後に、これに従って、保証人が債務を「弁済する」という事実行為をしたときに、はじめて求償義務が生じうるのである。保証人が弁済という「事実行為」をするか否かは、その資力や債権者の意思(強制執行手続をとるか否か)に委ねられている。よって、被告敗訴判決主文の直接の効果として、主債務者の求償義務という法的地位への影響が定まるわけではない。

この程度でも、判決の主文の法的判断を論理的前提として、自らの法的地位に影響があるとして、補助参加の利益があると認められているのである。

5 これと比較すれば、原決定が、本件補助参加人の参加の利益を否定した判断、

即ち、被告敗訴判決があっても、被告の立会署名や原告の代行署名がなされるまでは、補助参加人には、法律上の影響が生じないから、補助参加人には、いまだ法律上の利害関係は生じていないという判断がいかに狭すぎるかは明白である。前記、主債務者の補助参加の場合にも、判決後の「弁済」という事実行為(本件でいえば、被告又は原告の立会署名・代行署名)がなされたかどうかは、補助参加の利益の有無の判断において問題ではなく、あくまで、弁済(本件では右立会署名)すべきことを命じる判決主文の法的判断が、論理的な前提として、自らの法的地位が判断される場合には、補助参加の利益が肯定されるのである。

本件補助参加人らは、本訴判決において被告知事に立会署名が命じられて、知事に右義務あるとの法的判断がなされれば、「自ら立会拒否も署名拒否もしていないのだから今だ、立会権の行使や、調書への署名の権利を有している」という自らの権利行使の機会が、なくなってしまう。右行使が認められないことが、判決主文に示された裁判所の判断によって明白となる。更に、将来収用裁決申請を受けた際、収用委員会において、真実であるとの立証責任を負わされるという、法的地位への影響を受けることも明白である。

このように、判決による法的影響を①判決主文→②事実行為→③法律上の影響という流れをとるとしても、②の事実行為を内容とする②判決主文が出されたときは、現実に②がなされなくても①の法的判断を論理的前提として、③の法律上影響が生じる以上、補助参加の利益はあるのである。

職務執行命令訴訟の構造を、原判決の如く理解しようとも(これが誤りであることは、本書第三で詳述した。)②の事実行為(立会署名、代行署名)は、①の判決主文があってはじめて、その指揮監督権の行使がなされる関係にあるのであるから、②がなされることによって、③の法律上の影響を直ちに生じる関係にある本件補助参加人らは、①の判決主文で示された裁判所の法的判断について、これを論理的前提として、法律上の影響を受ける関係にある。

6 また、前記交通事故における補助参加の利益のある場合と比すれば、これ以上に、本件補助参加人らに、より強い補助参加の利益があることは明白である。

前述のとおり、判決主文の効果が直接及ばない場合でも、右判断を論理的前提として法律上の利益の関係があるときは、補助参加の利益があるのである。ところが、補助参加人らは、本件被告の敗訴判決主文によって、知事の立会署名が命じられると、右判断の効果として、知事の立会署名又は、総理大臣の代行署名が、「論理必然的に」なされ、自らの立会権等の権利を直ちに奪われるという立場にある。判決主文の効果として、直接自らの権利に影響が生じる場合は、そもそも、補助参加どころで無く、共同訴訟的補助参加の問題となる。室井、浜川意見書(乙二号証の一二頁)において、補助参加人らは、補助参加のみならず、共同訴訟的補助参加の余地もあるというのは、この意味である。

7 原決定は、「補助参加申出人らは、本件調書の作成により、後の収用委員会の審理において、その主張に係る手続的瑕疵を争うことができなくなると主張するが、調書の作成それ自体が右の効果をもたらすものではない」とも判断している(原決定第三の二)。右趣旨は、必ずしも明確ではないが、少なくとも、被告の立会署名又は原告の代行署名によって調書が作成されれば、立証責任の転換が生じ、真実性につき、自ら立証責任を補助参加人が負担するという法的地位への影響を受けることについては、原決定も否定出来ていない。そして、右法的地位への影響は、収用委員会の審理の段階になってはじめて生じるのではなく、右調書作成の最終手続である署名押印(土地所有者又は、それに代わる被告、原告らの代行署名等)によって、直ちに、法的効果として、土地所有者らは、調書の記載事項の真否について異議を述べることができないという法的地位に立たされるのである(土地収用法三八条)。

8 以上は、補助参加の利益として、判決主文の法的判断との関係のみに狭く解する立場からも、補助参加人らには、参加の利益がある点を論じたものである。

しかし、この原決定のとった判断は、もはや通説ではなく、「かつての通説」でしかないこと、及び、判例も、広く判決理由中の判断との関係でも補助参加の利益を認めていることは、補助参加人の反論書(二〇頁以下)で詳述したとおりである。

そして、土地収用法三六条二項、四項、五項により、補助参加人らの署名押印拒否があってはじめて、被告の敗訴判決主文が導かれるのであるから、右拒否の事実が存していないことを強く争い、疎明している補助参加人らには、参加の利益が認められるべきである。

第五 原決定が憲法に違反することは明白

今まで述べてきたところにより、原決定が憲法三一条、三二条などの各条項に違反することは、きわめて明らかである。

次に、原決定が憲法各条項に違反するところを、順をおって述べる。

一 原決定は、不公平な裁判所によって、抗告人らの主張、立証の機会を奪うなど不公平な審理方法によってなされたものであり、憲法三一条、三二条、三七条一項、七六条三項に違反する。

1 不公平な裁判所

憲法三二条の裁判を受ける権利は、公平な裁判所の裁判を受ける権利である。憲法三七条一項は直接的には刑事事件について規定しているが、民事事件についても準用され、抗告人らが公平な裁判所の裁判を受ける権利を有することは当然のことである。不公平な裁判所による決定が、憲法三一条の適正手続の保障に違反することも明白である。

また、憲法七六条三項は裁判官の独立を定めており、裁判官は国などの第三者の圧力に影響されてはならない。

(1) 国の圧力に屈服した裁判所

被抗告人は、昨年一二月二五日福岡高裁那覇支部に上申書を提出し、「本件職務執行命令訴訟の迅速かつ適正な審理の実現のために、速やかに本件補助参加の申出の拒否につき決定」をと、那覇支部の裁判官に圧力をかけた。

この圧力を受けて那覇支部の裁判官は、抗告人らの主張、疎明の機会を制限しだし、抗告人らに「あくまでも本年一月八日までに補助参加の疎明資料を提出するように」と通告してきた。そして抗告人らが、一月八日那覇支部に「補助参加申立への異議に対する反論書」と疎明資料を提出し、「二月九日の第二回口頭弁論期日までに残りのすべての主張、疎明資料を提出したい」と伝えたところ、那覇支部の裁判官は「国は参加人に対する応訴の負担から早く解放されたいから異議を出しているので、参加できるかどうか不確実な状態で審理を進めるのは妥当でない」として、抗告人らの残りの主張と疎明資料の提出の機会を奪って、「二、三日中というわけにはいかないが、二月九日の第二回期日前に早急に補助参加の可否について決定したい」と答えたのである。

二月九日の第二回期日までに補助参加の可否について決定することは、何ら法の要請するところではない。さすがに、那覇支部の裁判官もそのことは認めている。結局、那覇支部の裁判官は国の圧力に屈服し、「応訴の負担から早く解放されたい」などの国の便宜をはかり、補助参加の可否についての抗告人らの主張、疎明の機会を奪ったのである。

このような国の圧力に屈服した裁判所が、不公平な裁判所であることはきわめて明白である。

(2) 司法権の独立を自ら放棄した裁判官

那覇支部の裁判官のうち、坂井満は昭和六二年四月から平成二年三月まで訟務検事として国側代理人の活動に従事したことがあり、国側代理人のうち、川勝隆之、富田善範、田川直之、松谷佳樹は元々は裁判官である。さらに、裁判長大塚一郎と川勝隆之とは昭和五〇年四月から五三年三月まで横浜地裁の同僚として、裁判官伊名波宏仁と川勝隆之とは昭和六〇年四月から六一年三月まで東京地裁の同僚として、裁判官坂井満と富田善範とは平成二年四月から東京高裁の同僚として、それぞれ勤務したことがある。

訟務検事として国側代理人の活動に従事したことのある坂井満については、本件のような行政事件ではたして公平な判断が期待できるかおおいに疑問のあるところである。また、裁判官と国側代理人とは、右にみたようにかって同僚という関係を持ったことがある者同士であり、訴訟当事者はもとより国民一般からも「仲間うち同士による馴れ合い裁判」と受け取られないように、慎重な上にも慎重な審理態度が必要であった。

ところが那覇支部の裁判官は、右(1)にみたように国の圧力に屈服して抗告人らの主張、立証の機会を奪うのみならず、次にみるように抗告人らの主張、立証をまともに検討することもなく、抗告人らの補助参加申出を性急に却下したのである。

那覇支部の裁判官は、憲法七六条三項に違反して、自ら裁判官の独立を放棄したのである。

2 不公平な審理方法

憲法三一条、三二条、三七条一項が、裁判所に対して公平な審理方法を求めていることは明白である。

(1) 抗告人らの主張をまともに検討しないまま忌避申立を却下

抗告人らは、本年一月八日那覇支部の裁判官三名の忌避を申し立て、一月一一日に那覇支部に「忌避申立理由書」を提出した。那覇支部は、一月一二日福岡高裁本庁に、忌避申立の記録を送付したが、その際那覇支部は訴訟手続上当然なすべき本案記録を福岡高裁本庁に送付するということをしなかった。抗告人らの要求により福岡高裁本庁は本案記録取り寄せの決定をしたが、本案記録が福岡高裁本庁に到着したのはようやく一月一七日午後二時頃になってのことである。ところが福岡高裁本庁は、抗告人らの面談要求も拒否し、抗告人らの意見を聞くこともなく、わずか一日間で一月一八日午後三時頃抗告人らの忌避申立を性急に却下したのである。

福岡高裁本庁の裁判官は、抗告人らの意見を聞くこともなく、抗告人らの主張をまともに検討しないまま、抗告人らの忌避申立を却下したのであり、予断と偏見を持って忌避申立を却下したことは明らかである。

(2) 抗告人らの主張を検討することもなく、補助参加申出を却下

忌避申立却下の決定が一月一九日抗告人らに送達されたので、抗告人らは、一月二二日那覇支部に、「補助参加理由補充書」と「準備書面(二)」を提出した。ところが那覇支部は、抗告人らの主張を何ら検討することもなく、一月二三日補助参加申出却下の原決定をしたのである。

この間の経過をみるとき、那覇支部と福岡高裁本庁がともに国の圧力におもねり、屈服して、前述のように抗告人らの主張、立証の機会を奪い、あるいは抗告人らの提出ずみの主張、立証をまともに検討しないまま、忌避申立を却下し、続いて間髪を入れず補助参加申出を却下したことは明白である。

このような不公平な審理方法は、抗告人らの公平な裁判を受ける権利を奪ったものである。

3 以上のとおりであるので、原決定をした裁判所はそもそも国の圧力に屈服した不公平な裁判所であり、その審理方法も不公平きわまりないものであり、これらの点において、原決定には憲法三一条、三二条、三七条一項、七六条三項違反がある。

二 原決定は、職務執行命令訴訟の制度趣旨を誤ってなされた決定であり、地方自治の本旨を定める憲法九二条に違反する。

1 砂川職務執行命令請求事件最高裁判決(昭和三五年六月一七日判決)は、

「国の委任を受けてその事務を処理する関係における地方公共団体の長に対する指揮監督権につき、いわゆる上命下服の関係にある、国の本来の行政機構の内部における指揮監督の方法と同様の方法を採用することは、その本来の地位の自主独立性を害し、ひいて、地方自治の本旨にもとる結果となるおそれがある。そこで、地方公共団体の長本来の自主独立性の尊重と、国の委任事務を処理する地位に対する国の指揮監督権の実効性の確保との間に調和を計る必要があり、地方自治法一四六条は、右の調和を計るためいわゆる職務執行命令等訴訟の制度を採用したものと解すべきである」と判示している。

右最高裁判決の差戻し後の東京地裁判決(昭和三八年三月二八日判決)は、右の最高裁判決の意味を、「判決理由の全体を通覧するときは、その趣旨が下命者たる主務大臣または都道府県知事の判断の受命者たる都道府県知事または市町村長に対する優越性を否定し、両者の判断が抵触する場合には裁判所が客観的立場からそのいずれが正当であるかを審査判断すべきものとするにあることを看取するに難くないのであって」と判示している。

2 ところが原決定は、「職務執行命令訴訟は、いわば国の行政組織内部における上級機関から下級機関に対する国の機関委任事務の管理執行についての純然たる指揮監督権の行使の過程に係る事柄を問題とするものであり」と、職務執行命令訴訟制度を上級機関と下級機関との間に意見の対立があった場合に、上級機関の命令を裁判所という機関を通じて下級機関に伝えるための制度のようにとらえ、その結果「被告敗訴の判決の結果も、国の行政組織内部において国の機関委任事務の管理執行について主務大臣から都道府県知事に対し指揮監督権が行使されるにとどまるものであり、そのこと自体は私人の法的地位に何らの影響も与えるものではない」と判示している。

3 原決定が、地方公共団体の長本来の自主独立性の尊重に基づく前記最高裁判決にも、差戻し後の東京地裁判決にも違反していることは、右記1と2の判示内容を比較対照してみれば、一目瞭然である。

原決定は、地方自治の本旨に基づき、地方公共団体の長の自主独立性を尊重するために設けられた職務執行命令訴訟の制度趣旨を誤り、地方自治の本旨を定める憲法九二条に違反するものである。

三 原決定は、抗告人らの立会・署名権の侵害を容認し、補助参加の利益を否定して抗告人らの裁判を受ける権利を奪ったものであり、適正手続きの保障を定める憲法三一条、裁判を受ける権利を保障する憲法三二条に違反する。

1 抗告人らは、「被告が敗訴すると、被告は立会人を指名して本件調書に署名押印させることを義務づけられ、これを拒否したとしても、原告により右手続が代執行されることになり、本件調書の作成が完了する。本件調書の作成により、抗告人らは、調書の記載事項についてはそれが真実に反していることを立証しないかぎり記載事項の真否について異議を述べることができなくなり(土地収用法三八条)、同法三六条二項の立会権、調書に署名押印し若しくはこれを留保する権利、同条三項の異議を附記する権利を侵害され、後の収用委員会の審理において、これらの手続的瑕疵を争うことができなくなる。従って、抗告人らは、民訴法六四条の『訴訟の結果につき利害関係を有する第三者』に該当する」と主張した。

2 ところが原決定は、「被告敗訴の判決の結果は、被告に対し本件調書の作成について立会人を指名しこれに署名押印させよとの命令が発せられることにより国の行政組織内部において右国の機関委任事務の管理執行について上級機関である原告から被告に対し指揮監督権が行使されるにとどまるのであって、…右判決に基づき被告又は原告が右事務を行うまでは本件補助参加申出人らの私法上又は公法上の法的地位にも何ら法律上の影響を及ぼすものではないから、結局、補助参加申出人らは本件訴訟の結果につき利害関係を有するものということはできない」と判示している。

続いて原決定は、「仮にそのような事態の推移又は権利等の侵害があるとしても(なお、補助参加申出人らは、本件調書の作成により、後の収用委員会の審理において、その主張に係る手続的瑕疵を争うことができなくなると主張するが、調書の作成それ自体が右の効果をもたらすものではない。)、これらは本件訴訟の被告敗訴の判決による法律上の影響ではなく、右判決に基づき被告又は原告が右事務を行うことによる法律上又は事実上の影響にすぎないのであって、いずれも補助参加の理由となるものではない」と判示している。

3 原決定は、被告が署名押印をすることは被告敗訴の判決の結果ではないという驚くべき論理を展開している。

しかし、原告は本件職務執行命令訴訟で被告に対して、地方自治法一五一条の二第三項に基づき、「立会人を指名し、署名押印させる」ことを求めているのである。本件職務執行命令訴訟での被告敗訴判決により、まさに被告に署名押印という「事務」を行うこと即ち本件調書の作成を完了することが命令されるのである。被告が署名押印することは、判決で命ぜられた行為をすることであり、被告敗訴の判決の結果そのものである。

そして本件調書の作成が完了すると、抗告人らは、調書の記載事項についてはそれが真実に反していることを立証しないかぎり記載事項の真否について異議をのべることができなくなり、土地収用法三六条二項の立会権、調書に署名押印し若しくはこれを留保する権利、同条三項の異議を附記する権利を侵害され、まさに後の収用委員会の審理において、これらの手続的瑕疵を争うことができなくなるのである。

右の点において、抗告人らの権利は重大な侵害を受けることになり、抗告人らの補助参加の利益は明白である。

4 原決定は、被告が署名押印をしない場合の原告の代執行も、被告敗訴の判決の結果ではないといっている。

しかし、原告の署名押印の代執行も、地方自治法一五一条の二第八項に明らかなとおり、被告敗訴の判決を不可欠の要件事実として認められている。被告敗訴の判決があってはじめて原告は署名押印の代執行をすること即ち本件調書の作成を完了することができるのである。原告の署名押印の代執行即ち本件調書の完了が、被告敗訴の判決の結果であることは明白である。

そして本件調書の作成が完了することによる抗告人らの不利益は、調書の記載事項についてはそれが真実に反していることを立証しないかぎり記載事項の真否について異議をのべることができなくなるなど、右3で述べたとおりである。

右の点でも、被告敗訴の判決によって抗告人らの権利が重大な侵害を受け、抗告人らに補助参加の利益があることは明白である。

原決定は、被告敗訴の判決が原告の署名押印の代執行の不可欠の要件事実となっていることをことさらに無視し、原告による本件調書の作成の完了が被告敗訴の判決の結果であることを否定し、抗告人らの補助参加の利益を否定している。

5 原決定は、被告敗訴の判決の結果を曲解し、抗告人らの立会・署名権の侵害を容認する点において憲法三一条に違反し、補助参加の利益を否定し、抗告人らの裁判を受ける権利を奪う点において憲法三二条に違反している。

四 原決定は、抗告人らの土地強制使用手続の進行を争う権利を否定し、ひいては抗告人らの財産権と平和的生存権を侵害する点において、裁判を受ける権利を保障する憲法三二条、財産権を保障する憲法二九条、平和的生存権を保障する憲法前文、九条、一三条に違反する。

1 抗告人らは、「被告敗訴により本件調書の作成が完了すると、抗告人らは、本件各土地について使用裁決申請がされ、その後の手続を経て使用裁決手続開始の登記がされると土地収用法四五条の三によりその土地所有権について制限を受け、さらにその後の手続を経て使用裁決を受けることになり、財産権や平和的生存権を侵害されるという重大な不利益をこうむることになる」と主張した。

2 右の抗告人らの主張に対して原決定は、「仮にそのような事態の推移又は権利等の侵害があるとしても、これらは本件訴訟の被告敗訴の判決による法律上の影響ではなく、右判決に基づき被告又は原告が右事務を行うことによる法律上又は事実上の影響にすぎないのであって、いずれも補助参加の理由となるものではない」と判示している。

さらに原決定は、「その主張のような権利等の侵害については、補助参加申出人らは、使用認定及び使用裁決等に対する抗告訴訟など個人の権利利益の保護を目的とする訴訟、収用委員会における裁決手続の審理、土地収用法三六条三項の異議の付記等を通じて対処していくべきであって、これをもって本件訴訟に補助参加する利益を基礎付けることはできない」と判示している。

3 しかし、被告敗訴の判決がなされると抗告人らの土地の使用裁決手続が進められ、抗告人らの財産権や平和的生存権が侵害されることになるのである。

抗告人らは、沖縄戦終了後米軍によって、復帰後は日本政府によって、合計五〇年間余にわたって自らの土地を米軍用地として強制使用されてきたのであり、今日まで自らの土地に立ち入ることすら出来ないでいる。このような抗告人らが、自らの財産権や平和的生存権を守るため、本件強制使用が違憲・違法であると争うことが出来ることは、当然すぎるほど当然のことである。

また、裁判を受ける権利を保障する憲法三二条のもとでは、法令を適用することによって解決することの可能な権利義務に関する当事者間の具体的紛争が存在する以上、裁判を拒絶することは許されない。従って国民は、現に具体的紛争があるときにはその権利救済にとって最も適切と判断した任意の段階で裁判所に訴えを提起しうるのであり、国民の裁判を受ける権利には、国民が訴訟を提起する局面・段階・方法を自ら選択できる権利も含まれている。

従って、他に争う手続があるから補助参加の利益はないとの原決定の理由は、国民の裁判を受ける権利を奪う誤った判断である。

4 福岡高裁那覇支部は、意図的に抗告人らを本件職務執行命令訴訟から排除した上、現在、実質審理をしないまま異常なスピードで被告沖縄県知事敗訴の判決を強行しようとしている。このような事態をみるならば、抗告人らの補助参加申出を却下した原決定が、抗告人らの財産権や平和的生存権の侵害をもたらすことは、火をみるより明らかである。

5 原決定は、裁判を受ける権利を保障する憲法三二条の解釈を誤り、ひいては憲法二九条に違反して財産権を侵害し、憲法前文、九条、一三条に違反して平和的生存権を侵害する決定である。

第六 <省略>

第七 <省略>

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